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[コラム] 不倫を愛だと錯覚している女性

作成者 不倫・浮気トラウマ治療(ip:)

作成日 2021-09-07

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内容


男はみんなオオカミだそうです。もちろんそうではない男もいるでしょうが、大抵はその瞬間の気分によってオオカミにもなりますが、女は異なります。女はみんな夢多き思春期や若い時には白馬に乗った王子様との純粋な愛に憧れています。

 

結婚してからも同じです。恋人や夫が自分を愛していると信じ自分が不倫をすることは夢にも思っていません。そしてその時には不倫は理由を問わず悪いもので、そんなことをする人なんて人間じゃないと思っています。

 

このような女性が関係依存で自分が不倫に陥ると、不倫を賞賛したり、夫とは愛だと錯覚して結婚したのであり、不倫男に会って初めて本当の愛を知ったと言いながら「不倫はしない人のほうが少ない」と大したことではないと考えて一時的な男性とのセックスを楽しみます。

 

このように、人は自分が置かれた状況に応じて自分を合理化して考えを変えながら生きるのが私たちの人生でもあります。

 

不倫関係を整理した女性は、自分の環境や状況によって話が変わります。不倫で不倫男にふられた女性は「本当に信じられる男なんてこの世にいない。真の愛なんてない」と言いながら、愛なしで男に会ってセックスを楽しむ女性になる可能性が高いです。

 

男に捨てられたけど、自分だけは本当の愛をしていると信じ他の男に執着します。あるいは家庭に戻り、その秘密を隠したまま夫と子供たちに罪悪感を抱き自分を責める人もいます。

 

そして不倫をやめて数年経つと、不倫は愛ではなく一時の火遊びだったと言います。不倫は愛ではなく、秘かに会ってスリルを楽しんだだけで、一時の良い思い出だったと話します。

 

さらに年を取ると自分の不倫が夫には発覚されていなかったけど自分の人生で最大の汚点だったと考え、夫と子供たちに本当に悪いことをしたと感じます。そして今は自分にそんなこともあったなあと言いながら、この年になるとすべて無意味なことだと言います。

 

女性は不倫をする時、セックスの楽しさを愛だと錯覚します。

 

不倫をしている人はセックスの楽しさを愛だと錯覚をしていますが、配偶者に対して自分は不倫相手を愛していると話す場合も多くあります。不倫をしている人は自分がしている愛が幻想だということも知らずに、自分は相手を愛していると固く信じています。

 

これは夫の不倫での夫の愛、妻の不倫での妻の愛が似たような様相を呈していますが、不倫と関連した書籍や情報を見ると、男性が書いたのか、女性が書いたのかによって愛のアプローチ方法が異なることが分かります。筆者からすると、この両方ともアプローチ方法が間違っているのですが、一般の人は配偶者が不倫をするとこのような情報を信じて努力をします。

 

不倫でセックスの楽しさが愛だと錯覚している人は、夫婦関係の最も根本であるセックスの楽しさと幸福がどれだけ重要なのかを認識できていない場合が多いです。夫婦関係においては感じられなかったセックスの楽しさを感じて、自分が本当の愛に出会ったと思うのです。

 

しかし、不倫関係でのセックスをみると、その愛は虚しい虚構であることが分かり、不倫相手がこれを利用しようとすると、とても深刻な事態を招くということが分かっていません。

 

第一に不倫関係が始めるときはほとんどの夫婦がセックスを全く楽しんでいない可能性が高いです。

 

そのために性的欲求を解消できる相手が必要になり、セックスの楽しさと快楽がさらに強く感じられるのは当然のことです。この場合、夫婦関係のセックスが楽しくなると不倫の必要性はなくなります。

 

第二に、不倫関係の相手と話も通じてお互いの心をよく理解できるから愛していると錯覚をします。

 

男女関係では、どんな関係であれセックスの楽しさを得ると、話が通じて心打ちも共感でき幸福を感じるようになります。これは不倫関係に限らず夫婦関係でも同じです。結局、配偶者とは話も通じすにお互い理解できないということは、セックスが楽しくないということを意味するのです。

 

したがって、不倫相手と話が通じて、お互いの心をよく理解できるというのは、単純にセックスを楽しむことからくる付随的なものにすぎません。これは愛しているから話が通じてお互いの気持ちが理解できるのではありません。

 

第三に、不倫相手とはお互いを思いやる気持ちが伝わるから愛していると錯覚をします。

 

これもまた、セックスを楽しむ方法として、お互い思いやり配慮してこそ、当然セックスを楽しむことができます。配偶者とのセックスが楽しく幸せであれば、お互いを思いやる気持ちが生まれるのは当然です。これは不倫関係でのみ感じるものでは決してありません。つまり、配偶者との関係が疎遠な時に不倫がその隙に付け込んでまるで愛であるかのように錯覚させるのです。

 

すなわち、不倫でセックスを楽しめば楽しむほど配偶者とのセックスの楽しさは減少し、これによって不倫相手とは話も通じて心も理解し合い、お互いを思いやる深い愛をしていると錯覚し、配偶者は自分を疲れさせる存在だと錯覚をします。

 

これは、単にセックスの楽しさや快楽が相手を愛していると錯覚させているということを知らないからです。

 

では、真の愛とは何かについても考えてみる必要があります。

 

お互い信頼して相手に対する責任と義務を果たし、お互いに理解と配慮しながら共に歩む人生の幸福のための共同の目標をもって生きることです。

 

しかし、不倫にはセックスの楽しさだけが存在します。相手に対する責任と義務は存在せず、誰かは必ず傷つき、いつかは不倫によって傷つくしかないので愛とは言えないのです。現在の楽しさを愛だと錯覚しているだけです。

 

したがって、不倫関係はセックスパートナー関係です。不倫関係はセックスパートナーとしてセックスを楽しむ関係に過ぎず、決して愛になることはありません。このセックスパートナーと愛していると錯覚するのが不倫関係です。セックスの楽しさが愛だと歪んだ自己合理化をすることと、セックスの快楽を愛だと錯覚することは、自分自身を破滅に追い込むだけです。

 

不倫が本当の愛ならば、自分たちの子供に本当の愛をして幸せに生きるためには不倫をするように勧めることができるかを考えてみてください。自分の子どもたち、自分の婿や嫁にも堂々と勧めてみてください。

 

果たして不倫が愛なのでしょうか。

勧められない愛、結局はセックスの奴隷に過ぎず、心理障害にすぎないのです。





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